今日も今日とて、まっすぐ向かうは桂木教官室。人間に関する些細な『謎』を手に、脳噛ネウロは無自覚に胸躍らせ、扉をノックする。
「あれぇ、脳噛? また桂木先生と禁断の逢瀬?」
からかうようなその声の主は一般科講師、ヒグチである。教官室のPCのメンテナンスという大義名分をぶら下げて、彼もまた桂木弥子に近づこうとしていた。
「ヒグチ…先生。何してるんですか」
「いや、その質問そっくりそのまま返したいんだけど」
二人の視線が交わるところ、見えない火花が散る。
「ま、いーや。でね、桂木先生……」
「う、うん……。ごめん、脳噛くん、ちょっと待ってて」
くるりと桂木弥子の方を向いて、話を始めるヒグチ。自分以外の人間を優先する桂木弥子に、自分を挑発するヒグチに、言い知れない憤りを感じる。自覚がないままに、彼はまた人間らしい感情を持ち始めていた。
「でさ、データのサルベージなんて、実はそんなに難しくないんだけどさ」
「そういえばそういうツールもあったね」
「そう、だから、素人ができる一番手っ取り早いデータ消去は、別のデータで上書きしちゃうことなんだ」
「へぇ……」
そんなやりとりを聞いていた脳噛ネウロの右眉がピクリと上がった。
「桂木先生、偶然ですね。今先生に聞きたかったことって、それなんですよ」
「へ?」
「“男の恋愛は名前を付けて保存、女の恋愛は上書き保存”なんてことを小耳に挟みまして」
「あー、上手いこと言うな、お前」
「上書き保存するということは、前の恋愛は消去してしまうってことで良いんでしょうか?」
ぱちくり、と大きくまばたきをして、それから少し考え込む桂木弥子。こんなくだらない自分の質問にも、真剣に考えを廻らせてくる彼女を、愛おしく感じる。……もっとも、それが「愛おしい」という名の感情であると、まだ彼は気づいていないのだけれど。
「確かに、前の人のことなんかさっぱり忘れて次の恋へ! って人は、女性の方が多いかも知れないけど……」
「……けど?」
「写真だったり、プレゼントだったり、ふとしたデジャヴだったり……きっかけがあれば、思い出のサルベージはできちゃうと思うよ、女の子でもね」
桂木弥子の中にも、過去の男のデータが残っているのだろうか。質問をしに来たはずが、返って疑問を増やすことになってしまった。
「ははっ、桂木先生、脳噛が余計悩んじゃってるよ」
「えっ!?」
「なぁ、脳噛? 桂木先生の過去が気になるだろ」
不敵な笑みに、不敵な笑みで返す。完璧な優等生の仮面を被っている脳噛ネウロも、どうもヒグチに対しては本性を晒させられてしまうらしい。
「ちょっ…そんなこと気にしないでよ! いないんだから!!」
その発言に目を見開く二人。
「……先生の中に最初にデータを書き込むのは、一体誰でしょうね」
にっこりと笑って、どこかしら上機嫌な脳噛ネウロ。
彼女に過去に男はいなくても、既に彼のデータは潜んでいる。果たしてヒグチの逆転劇はあり得るのだろうか――?
++ fin ++